2008年02月24日
樹里ちゃん。(ジュリー・マンディ・パトリシア)
皆さんこんにちは。岐阜県葬儀屋ではたらく
ケアサポート事業部霊園開発課の岩井英明です。
高校生のころの思い出です。
私は当時、水泳部の部長をしておりましたので、
夏の時期は毎日のようにプールで泳いでおりました。
そんなある夏の出来事です
その日、ジュリー・マンディ・パトリシアちゃん
(オーストラリアからの留学生)が水着をきて、
プールに遊びにきてくれてたので、部員たちは
大はしゃぎでした。
みんなは、この子のことを日本名で「樹里ちゃん!」
って呼んで親しんでいました。
工業高校でしたので、あまり女の子と
触れ合う機会も少なく、ましてや金髪の
水着の女の子となれば、天にも昇るきもちでした。
そんな時、「バケツリレーをやろう!」と誰かが言い出したので
みんなハリキッテやることにしました。
第1泳者がバケツを持って、潜水をしながら、息の続くところまで
もって行き、第2泳者はバケツの位置まで潜水でたどり着き、
必ず、そこから更に先へ潜水をしながらバケツを持っていく。
と言う流れで、つぎの人へバトンタッチします。
潜水は息継ぎができないので、かなり苦しい上に、バケツの
抵抗で、思う様にうまく前にすすみません。
ですので、このバケツリレー、かなり過酷なリレーです。
さて、つぎは僕の番だったのですが、前の選手がバケツを
25メートルの位置まで運んでいましたので、
私はまず、25メートル潜水して、そこから更にバケツを潜水で
運ばなければならないことになりました。
樹里ちゃんが居たので、いいところを見せようと、50メートル
潜水でバケツを持って泳ぎきる!と宣言をして、スタートしました。
そして、悲劇が起きました。 つづく・・・