2008年03月26日
ヘレンケラー0(^−^)0
こんにちは岐阜県 葬儀といえば
株式会社メモリア松岡屋葬儀社
鶴見営業所の五十川です。
皆さんヘレンケラーをご存知ですか?
今日はあの有名なヘレンケラーが発声訓練を
始めたのが1890年の今日3月26日だったのです。
えっ!!!
ヘレンケラーを知らない!?!?
そんなあなたの為に・・・・・
ヘレンケラー
1880年6月27日、アメリカ合衆国のアラバマ州、タスカンビアで誕生。
地主の娘であった。
1882年:2歳(生後19か月)のときに熱病にかかり、医師と家族の
懸命な治療によりかろうじて一命はとりとめたものの、
聴力と視力を失い、話すことさえできなくなった。
この事から、両親からしつけを受ける事の出来ない状態となり、
非常にわがままに育つ事となってしまった。
1887年:彼女の両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは
聴覚障害児の教育を研究していた
アレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、
彼の紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の
校長アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣
されてきたのが、同学校を優秀な成績で卒業した。
当時弱冠20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)であった。
彼女はその後約50年にもわたってよき教師として、そして友人として、
ヘレンを支えていくことになる。
1897年:アン、ギルマン校長と衝突する。ヘレンはケンブリッジ女学院を退学、
ふたりはレンサムに落ち着く。ヘレンは、もうひとりの家庭教師の手を借りて勉強を続ける。
1900年:ヘレンはラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)へ入学した。
1902年:『わたしの生涯』出版される。
1904年:ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。
1906年:マサチューセッツ州盲人委員会の委員となる。
1909年:社会党に入党。婦人参政権運動、産児制限運動、
公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動に参加する。
また、著作家としても書き続ける。
1916年に世界産業別労働者組合(IWW)にも共感し、活動に参加した。
そして、1917年のロシア革命を擁護した。
こんなすごい人なんです。
http://www.helenkeller.or.jp/hkstory.htm
だらだら長文になりすみません。
それではまた、、、
今日の萌香でお逢いしましょう(#^。^#)